incognita et cognita

インコグニータ(incognita)のエンジニアリング・音楽・数学・雑学日記です

「世田谷ナンバーに反対する訴訟」はなぜ発生したか

世田谷ナンバー導入決定!

今日(8月2日)、「国交省が、世田谷を含む全国10箇所のご当地ナンバー導入を決定」というニュースが飛び込んできました。

「世田谷ナンバー導入反対で住民提訴」という報道がなされたのはつい昨日(8月1日)のことで、それによれば国交省

 『ご当地ナンバーの差し止め訴訟が起きたのは初めてのケースで困惑している』

というようなメッセージを出してたように思いますが、一夜明けたら困惑はもうなくなった、ということなのでしょうか。

まぁ、というよりかは、もう内々では導入を決めていたのでしょうから、「困惑している」云々、というのは単なるポーズで、国交省としては、たんたんと手順通り導入発表を行った、というのが本当のところでしょう。

もしここで国交大臣が「訴訟が発生している」ことを不審に思って「待った」をかけていれば、状況は大きく変わっただろうと思います。

が、おそらく、太田昭宏国交大臣は、「たまたま1件訴訟が起きた」だけでは「待った」をかけるほどのことはない、それよりも、区民の大多数が賛成している、とされている調査結果を信じよう、という判断を(30秒ほどで)されたのでしょう。

ま、本当のところはわかりませんけど。

世田谷ナンバー訴訟が発生した理由

ところで、「差し止め訴訟」を起こしている人たちは、なぜこんな訴訟を起こしたんでしょうか。

「世田谷ナンバー新設を反対する会」のサイトには、「区民の大多数が賛成した」とされるアンケートの実施方法について、なかなか興味深いことが書かれています。

これはこれで確かに問題だとは思いますし、ここで指弾されている当事者たちの言い分も是非聞いてみたいところではあります(言わないでしょうけど)。

とはいえ、「訴訟」までするエネルギーがどこから出てくるかというと、これはやはり、彼らの中に

 「世田谷ナンバーよりも、品川ナンバーのほうがカッコいい」

という強い「価値観」があり、その「価値観」が、「署名活動」や「訴訟」に向かわせる原動力になっているのだと思います。

「そんなのどうでもいいじゃん、バカみたい」と思う人もたぶんたくさんいるでしょう。

が、「モノ」を選ぶ・所有する際の判断基準として、そのモノの「機能」だけではなく、「デザイン」も重要なファクターである、ということは、多くの人が認めるところだと思います。

ナンバープレートの文字なんてデザインのうちに入らないって?

いやいや、十分にデザインの範囲内ですよ。だって、クルマの前と後ろのとっても目立つところに、バッチリ書いてあるわけですから。ある意味、ロゴマークと同じです(大体、デザインに入らないのであれば、そもそも「ご当地ナンバー」などという議論自体が意味を持ちません)。

ロゴマークというのは、端的にいえば「ブランド」をあらわします。ブランドには、多くの場合、歴史があります。

「品川ナンバー」が特別なのは、やはり、歴史に裏打ちされた不動の人気があるからでしょう。なぜ品川の評価が高いのかは、よくわかりませんが、まあ、ぶっちゃければ、よくわかんないけどイメージ的にかっこいい、というのが「ブランド」っていうものなんじゃないでしょうか。

「品川ナンバー」が「世田谷ナンバー」になる、というのは、例えて言えば、TOYOTAの高級車に乗ってる人に、「次の車検から、ロゴマークTOYOTAじゃなくて強制的にPONTAになります」と言っているのに近いような気がします。

まあ、中にはPONTAのほうが(世田谷ナンバーのほうが)好きだという人もいるでしょうけど、TOYOTAに愛着があればあるほど(品川ナンバーに愛着があればあるほど)、PONTA(世田谷ナンバー)には拒絶反応を示すんじゃないかなぁ。

「品川ナンバー」という不動のブランド

多少例えが悪かったかもしれませんが、やはりここでいちばん重要なのは、

 「品川ナンバーは、いろんな調査で、不動の一位を誇る人気のナンバーである」

という厳然たる事実だと思います。

これはつまり、世田谷区内にも、「品川ナンバーに強い愛着を持っている」人たちがたくさんいる、ということを意味します。

ここからは感覚になりますが、世田谷区内で「現在のナンバーに強い愛着を持っている」人の人数・比率は、他の「ご当地ナンバー」候補地よりも、はるかに多いのではないかと思います。

「デザインセンス」と「バランス感覚」について

ちょっと話は変わりますが、ものごとを決めるときって、「バランス感覚」ってとても大事ですよね。

とくに、政治を職業としている人たちは、自分の「バランス感覚」をもとに、日々、いろいろな決断をしているわけですから、大変なお仕事だと思います。

バランス感覚といっても、いろんな人の意見を聞いて、ちょうどバランスするところを選べばいい、みたいな単純な話ではなくて、自分の方向性・判断軸がしっかりあった上で、それを自分の言葉できちんと表現し、ある判断をしたときに、なぜその判断をしたのかが説明できて、その判断理由を、全員は無理ですけど、多くの人に納得してもらわなくてはいけないわけですから、本当に大変なお仕事です。

だけど、政治を職業としている人たちの中にも、私のような素人の目から見ても、「ちょっとバランス感覚が乏しいのではないか」と思う人がいます。

たとえば、現在の世田谷区長さんがその例です。

今回のナンバープレート騒動は、その一例です(他にもありますが、ここには書きません)。

彼はおそらく、「世田谷ナンバー(PONTA)」が、好きなのでしょう。そのデザインセンス自体は、否定しませんし、リスペクトすべきだと思います。

だけど、彼の普段の言動からは、「自分と異なるデザインセンスを持つ人に対する想像力・リスペクト」というものが、あまり感じられません(言動といっても、ツイッターぐらいしか見てないですけど)。

なんとなく、「自分のデザインセンスで物事を進める(自分のデザインセンスに、他人を巻き込む)のがリーダーシップだ」と思っているようにも見受けられます。「ロジックで」じゃなくて、「デザインセンスで」ですよ。中小企業を経営しているオヤジであればそれでもいいのかもしれませんが、区長さんってそれでいいのかなぁ。

「バランス感覚」って、他人への想像力やリスペクトから生まれると思うんですよね。

私が区長さんなら、自分がどんなに「世田谷ナンバー」に思い入れがあっても、「品川ナンバーが、人気ブランド調査で不動の一位を誇るブランドである」という「客観的事実」をもとに、「品川ナンバーに強い愛着を持っている人がたくさんいるであろう」ことを「想像」し、その人たちへの「リスペクト」があれば、少なくとも今回のような強引かついい加減なやりかたで「世田谷ナンバーへの強制切り替え」を決めることはなかったと思います。

今後の動向に注目!

いずれにしてもこの騒動、お上の決定が出たことで尻すぼみになるのか、あるいは、世田谷区長さんとは異なる強力なデザインセンスの持ち主たちによるどんでん返しがまだあるのか、しばらく注目したいと思っています。

個人的には、「どんでん返し」が起きると、とっても楽しくてワクワクします。

でわまた。