incognita et cognita

インコグニータ(incognita)のエンジニアリング・音楽・数学・雑学日記です

セカンドライフはなぜ流行らなかったのか

会社で、「セカンドライフってどうなったんだろうね、あんまりはやらなかったね」「このソフトもあとは余生(セカンドライフ)を送るしかないんだろうね」みたいな話をしていたのだが、その後「なぜこれはうまくいかなかったのか」というのを少し考えてみた。

最初に思ったのは、「所詮は虚構の世界の中の出来事に過ぎないからではないか」ということ。

もうちょっと説明すると・・・

セカンドライフを「仕事で仕方なく」やってる人はまあ少ないだろうから、大部分の人は「楽しみを求めて」やってきているはずだ。

人間が楽しさを感じる要素はいろいろあるが、セカンドライフのような類の仕組みはおそらく、「他人とのコミュニケーションそのものを楽しむ」ことを一番の目的としていると思われる。もちろん、セカンドライフの空間そのものをぶらついたり、セカンドライフで提供している言語を用いていろいろなモノを作ったりすることに「楽しみ」を覚える人もいるだろうが、いずれも「他人とのコミュニケーション」という目的がなければ長続きはしないだろう。

コミュニケーションには当然「自分」と「相手」が必要だが、セカンドライフ上ではこれらはいずれも、擬人化したオブジェクトである「アバター」で表現される。

これはセカンドライフに限った話ではないが、こういうアバターはインターネット上では、「それを操作する人自身をあらわすキャラクター」というよりは、「それを操作する人がシステム上で作成した架空のキャラクター」とみなされることが多い(と思う)。

セカンドライフのワールドには、こういう架空のキャラクターがうじゃうじゃいて、これらの架空のキャラクターたちが架空のショップや建造物を作り、それら架空のモノをベースにした会話が日々繰り広げられている。つまりは、架空のキャラクターたちが闊歩する『虚構の世界』というわけである。

ところでコミュニケーションの楽しみというのは、本来の「リアルな自分」が「楽しい」と感じなければ始まらない(あたりまえですが)。セカンドライフ(に限らずネット上のこれに類する仕組み)がうまくいかないのは、上記のような「虚構の世界のにおい」をかぎとった人が「虚構の世界のコミュニケーションでは本来のリアルな自分の楽しみは得られない」と思って離れていく(最初から虚構の世界を感じている人はそもそも入り口にすら近づかない)のが原因ではないか、と考えた。

以上が、まず最初に思ったこと。

ここからは、だんだん妄想の世界に入ります。

次に考えたのは、「虚構の世界のコミュニケーションではリアルの自分の楽しみは得られない」ということ自体、そもそも私の思い込みなんじゃないか、実は虚構の世界のコミュニケーションでも十分に楽しいということを私が知らないだけなんじゃないか、ということ(実際、まだセカンドライフにハマっている人たちも多いはずだし)。

とはいえ、いまのセカンドライフでは私が「楽しい」と思えそうにないことは事実なので、「どうすれば楽しいと思えるようになるか」を考えてみた。なお、ここでの「楽しさ」の要素からは、一般的にありがちな「性欲」(セックスバーなど)や「金銭欲」(アイテム販売やカジノなどを通じたリアル金銭とのリンクなど)については除外する。

たぶん、3つの方向性があると思う。

ひとつめは、「架空のアバターとリアルな人間を直接リンクする」という方向性。

アバターとのコミュニケーションが「うそくさい」と感じるのは、前述したように、アバター自身はあくまでもそれを作成した人間が生み出した「架空の存在」で、それを生み出した人間自身の人格とは別モノだという感覚(私の思い込みかもしれませんが)があるからだと思う。

一方で、ネット上のブログなどは、一部は実名を公開している人はいるものの、人気のブログであっても「匿名」で書かれているものが多い(特に日本では)。ここでの「匿名」は、あくまでも「個人情報を開示したくない、あるいはあまり広く名前を公開されるのは気恥ずかしい(特に日本では)ためにネット上でそれを伏せている」だけであって、それを書いている人が「別人格で」書いているとは思わないのが普通であろう。つまりそのブログで表現されているのは「リアルなその人自身の意見」であり、コメントやトラックバックを通して行われるのは「架空のキャラクター同士のコミュニケーション」ではなく「その背後にいるリアルな人間同士のコミュニケーション」である。

セカンドライフにおいても、アバターが「その背後にいる人間そのもの」をあらわしているという感覚、つまりコミュニケーションしている相手は「架空のキャラクター」などではなく、その背後にいる「リアルな人間自身」なのだ、という感覚を得られるようになれば、もっと「楽しい」と思えるようになるかもしれない。

アバターがその背後にいる人間そのものに直接リンクされている」という感覚を得るようにするためにはどうすればよいか、という議論は各論になるのでここではいったん置いておく。

ふたつめは、「仮想現実感のレベルを上げる」という方向性。

これについてはあまり説明は要らないと思われるので簡単に述べるにとどめるが、現在の「セカンドライフ」の世界は、歩いたり空を飛んだりなどいろいろなことはできるとはいえ、所詮は2次元のディスプレイの中での出来事なので、「自分が実際に体験している」という感覚からはほど遠い。逆説的だが、「夢の中での体験」のほうがまだよっぽど現実感がある。これは、デバイスがもっと進化したり、かなりSFチックになるが頭にすっぽりと装置をかぶせて脳を直接コントロールする(夢を見ているような状態にする?)ようなことができれば、たとえそれが虚構とわかっていてもやってみたくなるくらい楽しいと思えるようになるかもしれない。

コミュニケーションとの関連で言えば、いくら現実感があっても一人でやっているとそのうち飽きるので、たとえば「友達や恋人と一緒に仮想現実の中に飛び込んで楽しめる」ようなレベルまで仮想現実感のレベルを上げる、ということになるだろう。ディズニーランドにわざわざ行かなくても、友達、恋人、家族などとのコミュニケーションを、「仮想現実」が支援できるようにする、という考え方である。Wiiなどはまさにこれに近いだろう。

仮想現実感のレベルアップの具体的な内容や手段については、各論になるのでここではいったん置いておく。

みっつめは、「虚構も現実の一部として受け入れる」という方向性。

これはこれまでの2つより説明が難しい(というより自分でもうまく説明できない)が、あえて説明を試みてみる。

セカンドライフの世界というものは、架空とはいえ、現実的にインターネット上で「活動している」アバターや、「建っている」建造物などから構成されているものであり、これらをありのまま受け入れてしまえばそれはもはや「虚構」ではなく、「現実の一部」であると考えることができる。

コミュニケーションの相手は、なにも「リアルな人間そのもの」や「背後にその人間の存在を直接感じることができるキャラクター」である必要はない。
「リアルな人間が作り出した架空のキャラクター」も、現実的にそういうキャラクターがセカンドライフという世界の中に存在する以上、コミュニケーションの相手として捉えることができるかもしれない。

たとえば私たちは、犬やネコなどのペットとは、人間同士のコミュニケーションとは別の次元でコミュニケーションができている。この場合、相手を人間とは違った「生きもの」としてそのまま受け入れ、言葉ではない、生きもの同士としてのコミュニケーションを成立させていることになる。

また、SF小説などでは将来的にはロボットとのコミュニケーションができるようになるといわれているが、これも人間同士のコミュニケーションとは別次元でのコミュニケーションとなる可能性が高い。この場合、相手を、人間が作り出した機械であることを認識した上で、独立したアイデンティティを持った実体として受け入れることになる・・・かどうかはわからないが、SFではそう描かれている場合が多い。

架空のアバターとのコミュニケーションは、これらとはまた異なる、「人間が作り出して、人間が操作している実体」とのコミュニケーションであると捉えることができるのかもしれない。私たちは小説やドラマに出てくる人間には感情移入するが、ノンフィクションの場合は別としてこれらは作家や脚本家が作り出した「架空のキャラクター」である。それの延長上で考えれば、人間が作り出した「架空のキャラクター」と直接コミュニケーションすることに感情移入し、楽しさを感じたとしても何の不思議もない、のかもしれない。

具体的にどのようにすれば「架空のキャラクターとのコミュニケーション」を違和感なく受け入れて楽しむことができるようになるのか、という議論は、各論になるのでここではいったん置いておく。

以上、セカンドライフを題材にして、ネット上でのコミュニケーションの楽しみ方という観点で3つの方向性を示してみた。

(1)「架空のアバターとリアルな人間を直接リンクする」という方向性
 →ネットを利用してリアルな人とのコミュニケーションを増やそうという考え方。

(2)「仮想現実感のレベルを上げる」という方向性
 →テクノロジーを使ってコミュニケーションの質を上げたり手段を増やそうという考え方。

(3)「虚構も現実の一部として受け入れる」という方向性
 →コミュニケーションの対象はリアルな人間そのものに限る必要はない、というはっちゃけた考え方。

それぞれ、相互に関連している部分もあるし、具体的な話になるとまだまだわからないことがたくさんあるが、「ネットそのものの方向性」を考える上でのヒントになる(かもしれない)ので、暇をみつけて深堀りしていきたいと思う。

以上です、よろしくお願いいたします。